漢字と假名遣ひ2
id:kahusi:20040824#1093305613の續き。
それはどのやうに決められるものなのか。
「現代かなづかい/現代仮名遣い」や當用漢字/常用漢字は決めさせられたといふ感じ。
自分が理解できないから皆が理解できないということはいっていません。客観的に考えてみてみます。
俗に正仮名遣・歴史的仮名遣いと言ってますが漏れはこの言葉嫌いなので、使用しません。「正」というのは、見方によって解釈が違う曖昧な単語だと思うので。歴史的仮名遣いというと、現在使用している人に敬意を表していないと思われるのでこれも却下。なので、とりあえずこの文章には、「甲」、そして現代仮名遣いを「乙」と使わせて貰う。
まず、仮名遣いを考えるにこの4つが考えられる。また、この中の「人」は成人した日本語環境で生まれ育って日本の教育を受けた人のことです。
- 甲・乙両方を理解できる人・・・丙
- 甲のみを理解できる人・・・丁
- 乙のみを理解できる人・・・戊
- 甲・乙両方を理解できない人・・・己
- 甲を理解できる人・・・庚
- 乙を理解できる人・・・辛
己は、現在ほとんど存在しないといっていいほど、日本の環境は整われていると言っても過言はないと思います。なので、この話の中では特に必要としないでしょう。
問題は、丁と戊です。後述したことをふまえて考えると、まずいって現在丁がインターネット或いはパソコンを使用できるでしょうか?説明書や契約書、約款、などほとんどが乙を使用している世の中で、果たしてそれをクリアできるとは考えずらい所があります。またできたと仮定しても、ウィキペディアを利用できるか疑問です。普通の項目では、ほとんど乙を使用しているウィキペディアを理解できないし、利用価値も減ってしまうと思います。戊は丁に比べてやはり比率は高いのではないでしょうか。後述のことも考えるに、やはりこの現在の環境をみて、甲の文章を身近で接することができるかどうか。甲に対してある程度自己による接近も必要になるのではないでしょうか。そう考えると、やはり身近だとはいいずらい。つまり、それだけ甲を読めない人も少ないといってもよろしいのではないか。
それをふまえて丙を考えると、やはり丙と丁の共通部分というより、ほとんどは庚の中の一集合体、庚≒辛もっと強くいうと庚=辛にほとんど近いものになってしまうのではないでしょうか?
現在の環境について。ほとんどは、乙を使用しています。特に出版系は著者がそれを使用したいと思わない限り、ほとんど乙で明記されます。また、公文書も法令で手引きされているので、乙を優先するでしょう。現にそうしています。甲の文章に接するには、やはり甲に接する意思が少しでもないとなかなか接することはできない。偶然も考え得るが、可能性としては低いと思われる。
ということで、客観的に考えての前述の私の意見はある程度の合理性はあると解釈できます。
上記引用は、id:kahusi:20040824#1093305613での後者の引用文を書いた人の文。義理の爲(ぉ)、URIを載せる方式にはしなかつた。*1
取敢ず、「正しい」に盡いては、假名遣Q&A等で述べられてゐる。
……といふか、「現代かな」が分かる人は、(贊否は別としても)正かなも分かる筈。漢字は何うかは人に據るかも知れぬが。
*1:然し、引用の主從關係は大丈夫かな……。